デルソーレ 小麦ごはん

小麦を原料とした「つつむ・はさむ・のせる・まく・つける・ぬる」など簡単調理ができる世界のおいしいパン。

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おしえて!小麦ごはん

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おしえて!小麦ごはん

世界のパンの系譜

パンが初めてつくられたのは、今から8000年も前のこと。自然の知恵を取り入れながら、メソポタミアから古代エジプト、古代ギリシャへと伝わっていきました。黎明期の平焼きパンは、今でも中近東やインドなどで食されています。

無発酵パンの誕生~古代エジプトで生まれた発酵パン

パンが初めてつくられたのは、紀元前6000~4000年ごろ。小麦の栽培がはじまったメソポタミア流域のあたりだとされています。小麦などの穀物を粉にして水を加え、薄くのばして焼く、平たい無発酵パンが最初でした。この平焼きパンの食文化は、中近東やインドの文化圏に広まり、今でもピタパンやトルティーヤ、チャパティなどが食されています。
一方、パンの文化は古代エジプトに伝わり、まもなくふんわりと膨らむ発酵パンが生まれます。粉をこねた生地を放っておいたところ、空気中の野生酵母がついて発酵により大きく膨らんでしまい、ためしに焼いてみたらふっくらとしておいしかった、というのがはじまり。自然の力を借りた偶然の産物が、パンづくりに重要な「発酵」という技術をもたらしたのです。古代エジプトの人にとっては日常の主食であり、神に捧げる供物であり、役人の給料でもありました。当時大麦の粥が主食だった古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、「エジプト人はパン食い人だ」と驚いたとか。ラムセス3世の墳墓には、パン職人たちの壁画が描かれ、大量のパンをつくっていた当時の様子が示されています。

ラムセス3世墳墓に描かれたパン職人達
都市国家・ギリシャで発展した発酵パン

さらにパンは、古代ギリシャへと伝わります。このころの古代ギリシャは都市国家として繁栄しており、エジプトの発酵パンの調理技術は貴族を中心に受け入れられ、改良されてさらに大きく発展していきました。原料も小麦以外に大麦、エン麦、粟、レンズ豆、さらにはハチミツやクリーム、卵、オリーブオイル、ドライフルーツなども使って、主食用だけでなく嗜好性の高いものもつくられるようになりました。パン焼き窯が改良され、パン職人が現れたのもこのころです。

コリックス
オリーブやハーブ入りのパン
オクタブロモス

古代ギリシャのパン

Columnパンのことわざ

人々にとってパンはもっとも基本的な食。パンが生活において価値ある存在であることは、各国のさまざまな慣用句やことわざに登場するところに表れています。ここではそのいくつかを紹介します。

「ブレッドウィナー」:英語のブレッドには「生計」の意味もある。つまり「パンを勝ち取ってくる人=一家の稼ぎ手、という意味。
「芸術はパンに従う」:いくら立派な芸術でも財力がなければはじまらない。
「人はパンのみにて生くるにあらず」:悪魔の誘惑に対してイエスが答えた有名な言葉。人間にはパンという物質的な糧だけでなく精神的な糧が必要である。
「オン・ザ・ブレッド・ライン」:パンも買えないくらい貧乏、という意味。
「半分のパンでもないよりまし」:パンは最低限必要な食であることから「あるだけまし」という意味に使われる。スペインでは「かたいパンでもないよりはまし」となる。
「パンとサーカス」:古代ローマ人が権力者に要求した「食糧と娯楽」の意。

ギリシャのパン職人からローマ帝国へパンの製法が伝えられると、今日のヨーロッパのパンにつながる技術が確立されていきました。ルネサンスで活気にあふれたヨーロッパからは、国ごとに特色ある西欧パンが生まれました。

古代ローマではパン職人は高い地位を得ていた
古代ローマのパン職人達の様子

古代ローマのパン職人達の様子

紀元前300年代になると、古代ローマにもパンの文化がもたらされます。ギリシャのパン職人を奴隷として捕らえ、彼らから製粉や製パンの技術を習得したのです。ローマでは貴族や教会が製パン所を支配して、庶民がパンをつくることを禁止しました。全盛期のローマの街には254軒の製パン所があったといいます。
このころのパン屋は結束して組合を組織していました。政治的にも地位が高く、さまざまな特権をもっていたといいます。このように守られた製パン所で、今日のヨーロッパ各国の製パン技術の基盤が確立されていきました。
紀元79年に火山の噴火によって一瞬にして灰に埋もれたポンペイの遺跡では、製パン所の風車やかまどがそのまま発掘されました。窯の中にはパンがたくさん詰まっていたといいます。

ルネサンスとともに開花した各国のパン文化

強大なローマ帝国が滅亡したあと、中世ヨーロッパは混乱期に入り、パンづくりの技術もほとんど進歩が見られませんでした。製パンの技術はキリスト教の僧院などに受け継がれていましたが、白いパンを食べられるのは一部の上流階級の人たちのみで、一般には黒パンと呼ばれる繊維質の多いパンを週に一度程度しか焼けず、皮が厚く硬いパンを食べていたようです。
14~16世紀にイタリアを中心にルネサンスがおこると、再びヨーロッパの国々に活気がみなぎりはじめ、国ごとに特徴のあるパン文化が花開きます。フランスパン、イギリスパンといった、西欧パンの系統はこのころに確立しました。またイギリスから新大陸にわたったパンは、機械化の恩恵を受けて技術が発展し、アングロアメリカ系と呼ばれるリッチな配合のパンとなりました。

Columnスープはもともとパンだった⁉

かつてのパンは今のものよりも硬く、また一度に焼いておいておくものでした。焼いて日が経ったパンは、硬くてそのままでは歯がたちません。それをなんとか食べやすくするために、煮汁やワインなどをかけて、ふやかして食べたのです。これを俗ラテン語でsuppaといいました。これが、フランス語のスープ(soupe)、英語のスープ(soup)、ドイツ語のズッペ(suppe)、イタリア語のズッパ(zuppa)、スペイン語のソパ(sopa)などの語源です。
やがてスープという単語は、ふやかしたパンよりも、それをふやかすための汁もののほうを指すようになったのです。
スープとパンの深い関係は、ことばの中にもよくあらわれています。英語やフランス語などでは、スープは「飲む」のではなく「食べる」といいます。フランスでは、ぐしょぬれのようすを「スープのようにぬれた」と表現します。またイタリア語では、五十歩百歩と同じような意味で「ズッパでなければぬれたパンだ」いう慣用句も。どれも、スープがパンだったころの言い回しです。